ブラジルの正式移民は1908年(明治41年)神戸港を出港した「笠戸丸」からとされています。
ブラジル・サンパウロ周辺のコーヒー農園などを中心に日本移民が多く移り住みました。
日系移民はブラジル人社会から勤勉であるとの評価を受けるようになります。
しかし、太平洋戦争時には、日系社会でも日本の「味方」と「敵国」の両方に分かれてしまい、その後のブラジル内でも「勝ち組」と「負け組み」とに分かれてしまった。
1960年代に入ると、相次いで日本の企業がブラジルに進出。
日系人社会も高い評価を受けるようになる。
但し、サッカー界では、「日本人のようだ。」といわれれば、ヘタであるという意味のようです。
日本への出稼ぎ。
その後、高度経済成長を遂げた日本に1970年代頃よりブラジルから日系2世3世といった世代が出稼ぎに来るようになる。
1990年日本の出入国管理法が改正。
日系人の無制限の受入を許可。
多数のブラジル日系人が日本へ出稼ぎに来るようになりました。
現在、日本在住の日系ブラジル人は、群馬県太田市とその周辺、静岡件浜松市などを中心におよそ30万人といわれています。
日本にやって来る日系ブラジル人が増えるに従い、生活慣習、言葉の違いなど、地元住人との摩擦が生じるようになってきました。
そのため、「偏見」や「差別」そして「犯罪」なども発生するようになりました。
また、移民の子弟の就学問題などが生まれています。(無就学児童)
日本で活躍する有名なブラジルの日系人としては、辛口サッカー解説者のセルジオ越後氏、歌手のマルシアさん、など。
日本人に気化した有名人は、ラモス 瑠偉(ルイ)氏、三都主(サントス)・アレサンドロ選手、田中マルクス闘莉王(トゥーリオ)選手など、さすがブラジル、サッカー選手が多いです。
尚、元プロレスラーのアントニオ猪木(本名:猪木 寛至=いのき かんじ)氏は、日系ブラジル人のようにアナウンスされていますが、1943年横浜市鶴見区生まれの日本人である。
14歳の時、家族でブラジルに移住。
1960年、南米に遠征していた「力道山」に現地でスカウトされ、そのまま帰国。
力道山は、当初猪木を日系ブラジル人として売り出そうとして「アントニオ猪木」のリング・ネームを与える。
そのため、猪木自身も自分が日本出身だということを否定し続けた。
日本人だと認めたのは、力道山が亡くなった1963年以降である。
また、「アントニオ猪木」氏が日本に「タバスコ」を輸入した最初の人物のように云われていますが、事実ではないようです。
「タバスコ」は、アメリカの1868年創業の「マキルヘニー社」が「タバスコ・ペパー」という唐辛子をもとに、創業以来130年間作り続けている登録商標商品です。
アメリカでは「ペパーソース」として親しまれています。
ブラジルの商品ではありません。
日本には、戦後アメリカの進駐軍とともに入ってきたようです。
猪木氏が経営する「アントンフーズ社」が「タバスコ」の輸入代理店を一時期つとめていたことは事実のようです。
(猪木氏は1964年(昭和39年)から2年間、アメリカ武者修行を敢行しています。)
ブラジルといえば、「サッカー」と「カーニバル(カルナバル)」です。
「カーニバル(カルナバル)」といえば、日本人も多く住むサンパウロも有名ですが
「リオのカーニバル」も有名ですね。
・ブラジルといえば「リオのカーニバル(カルナバル)」でしょうか。
この記事へのコメント
じゃあ誰が初めにタバスコを広めたんだよ?
Posted by 遠藤 at 2009年12月23日 16:48
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/100726693
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
今日も最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。(^-^ )♪
人気ブログランキングへ
http://blog.seesaa.jp/tb/100726693
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック

