「北方領土」とは、「択捉島(えとろふとう)」、「国後島(くなしりとう)」、「色丹島(しこたんとう)」、「歯舞群島(はぼまいぐんとう)」の「北方四島」のことを云います。
1875年(明治8年)に締結されたサンクトペテルブルグ条約(千島樺太交換条約)は、樺太をロシア領とする代わりに、千島列島のロシア領だった島々を日本領にしました。
(日本とソ連の間に解釈の違いも未だにありますが、「定説」ということで)
そして通常、「日ソ不可侵条約」として知られている「日ソ中立条約」が1941年(昭和16年)に日本とソ連の間で締結されました。
期間は、1941年4月25日から「5年間」です。
従って、満期は1946年(昭和21年)4月25日までになります。
但し、満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものという契約締結がされています。
(生命保険などと同じですね♪)
1941年(昭和16年)12月8日、日本は連合国に対して「宣戦布告」。
英国領シンガポール、及びアメリカ領ハワイを攻撃して「太平洋戦争」が勃発。
但し、日本の「宣戦布告」は、アメリカの「日本大使館」の不手際で(と言われている。アメリカ時間の土曜日の深夜から日曜日の早朝にかけての日本からの「暗号電報」の処理が遅れたとされる・・・。)連合国側に対しての通報が遅れてしまった。
第2次世界大戦(太平洋戦争)最後の年、1945年2月にソ連クリミア半島のヤルタで行われた、ルーズベルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソ連)による首脳会談(ヤルタ会談)の場において、とある約束が交わされました。
ソ連のチャーチルが、日ソ中立条約満了を待たずに「日本」に参戦するという密約・・・。
1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本側に通達。
条約を一方的に破棄したわけです。
同年8月8日、モスクワの日本大使館に対してソ連は宣戦布告を宣言。
翌9日、南樺太・千島列島及び満州国等へ侵攻しました。
このソ連の宣戦布告は、日本大使館から日本本土に向けての電話回線は全て切断されていたために、本土には全く伝わっていませんでした。
更に、「北方領土」には、日本が「ポツダム宣言」を受諾して降伏した1945年8月15日以降、8月28日から9月5日にかけてソ連軍は北方領土に上陸し占領しました。
そして、現在に至るわけです・・・・。
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1983年 政府広報CM 「北方領土」
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