「李香蘭(りこうらん)」(中国語読み:リー・シャンラン)本名:山口淑子(やまぐちよしこ)
1920年2月12日中華人民共和国の東北地方(当時の満州)撫順(ぶじゅん)市で生まれ。(現在88歳)
奉天(ほうてん)市(現在瀋陽(しんよう)市)育ち。
中国語を教えていた父親の影響で中国語、日本語ともに堪能。
1938年日中戦争(1937年開戦)の最中に満州国で中国人の映画女優、そして歌手「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビュー。
瞬く間に、日本、中国でスターとなる。
日本では、当代きっての二枚目俳優長谷川一夫氏と競演した『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』の3部作が大ヒット。
この3部作は、日中戦争が始まった1937年ころから製作された国策映画。
歌手として歌った「支那の夜」(英語名China Nights )「蘇州夜曲(そしゅうやきょく)」などが大ヒットした。
尚、「支那の夜」は、太平洋戦争中は連合軍兵士向けのプロパガンダ放送で流されたため、戦後日本に駐留した進駐軍がこぞって買い求めたといいます。
1941年2月11日紀元節(現、建国記念日)には、当時の日劇に中国人スター「歌ふ李香蘭」に出演。
劇場を七回り半も人垣が取り囲むなど、大盛況となった。
日本では「李香蘭」は、中国人と信じられていた。
中国では、太平洋戦争真っ只中の1943年、抗日映画『萬世流芳』に出演、中国映画史上初となる大ヒットを記録する。
この頃、「夜來香(いえらいしゃん)」など、数多くのヒット曲をリリース。
1945年の終戦間際に、上海でリサイタルを開催、大盛況となる。
中国本土の大衆にも、もちろん中国人女優の「李香蘭」(リー・シャンラン)で通っていたのだが・・・。
日本の敗戦後、(当時の)中華民國政府から国家を裏切ったとして軍事裁判にかけられる。
銃殺刑になるとの憶測が流れたが、何とか「国外追放」ということで決着する。
1946年2月28日、化粧を落とし日本への引揚船に乗船しようとしたが出入国管理官に李香蘭と見破られ、再度収容所に連れ戻されてしまった。
それから10日間収容所に収監されるが、何とか開放されて再び引揚船に乗船。
やがて引揚船は出航。
船がゆっくりと岸壁を離れる・・・中国人の銀幕スター「李香蘭」(リー・シャンラン)は、もう2度と目にすることのないだろう遠ざかってゆく上海のバンド(外国人駐留地の歓楽街)を眺めていた・・・。
船内のラジオ放送が小さく奏でる歌声が流れてきた。
「月下的花児 都入夢 只有那。」・・・自分の歌う『夜來香』だった・・・。
戦後は、「李香蘭」から本名の山口淑子で映画、テレビのワイドショーの司会など幅広い活躍をする。
1980年から参議院議員を2期務める。
現在は、「北京オリンピック」で盛り上がる中国ですが・・・。
そんな時代もあったのです・・・。
蛇足ですが、作曲家服部良一氏の作による「蘇州夜曲」の舞台「蘇州」は、中国を代表する水の都として知られています。
でも、現在は「水質汚染」が著しく進行しているようです。
コチラ参照 ⇒ 中国「蘇州」の水質汚染に挑む「炭素繊維」(小島昭教授開発)
⇒ 中国式水質浄化大作戦
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李香蘭〜蘇州夜曲
山口淑子〜夜来香 & ふるさとのない女
上戸彩編「李香蘭」
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