『これでいいのだ!』〜赤塚不二夫氏逝く タモリ氏弔辞全文動画。〜赤塚氏は手塚治虫氏の「鉄腕アトム」の動画を描いたこともあります。
赤塚不二夫 1935年9月14日 - 2008年8月2日(72歳)
旧満州国(現中国東北地方)生まれ。
日本ギャグマンガの創始者といってよい。
故・赤塚不二夫氏の名前を知らなくとも、そのマンガの登場人物と「ギャグ」を知らぬ日本人は、いない。
1957年ころから故・石の森正太郎、藤子不二夫氏らとともに東京、豊島区のトキワ荘に住み創作活動にはげむ。
ちなみに、トキワ荘にはじめて住んでいたのは故・手塚治虫氏である。
赤塚さんが居た頃には、すでに出て行った後ですが、親交はありました。
「トキワ荘同窓会」
1962年、「週刊少年サンデー」で『おそ松くん』、「りぼん」で『ひみつのアッコちゃん』の連載を開始すると、一躍人気マンガ家となる。
このころ、あの手塚治虫氏は、「鉄腕アトム」のテレビ動画の作製がまにあわず「トキワ荘」のマンガ家たちに「鉄腕アトム」の動画の作製を依頼。
出来上がったのが「ミドロガ沼の巻」です。
手塚作品で唯一「手塚プロ」以外の人間の手による作品です。
アトムを石の森さん、藤子さん、赤塚さんなどが描いています。
▼▼▼詳しくは、こちら!!笑えます!!▼▼▼
尚、この初回アトムシリーズの「ミドロガ沼の巻」のオリジナル・テープですが、手塚氏が処分してしまい現存していない、ということです・・。
従って、幻の作品といわれています。
但し、アトムの英語版(アトムは、アメリカで「アストロボーイ」という題名で放送されていました。)には、現存しています。
当サイトの管理人である「私」は秘蔵しておりますが、初回シリーズの「アトム」の動画をアップロードすると、削除されるようなので、残念ながらアップロードできません。あしからず・・・。
「ミドロガ沼の巻」は、明らかに赤塚氏が書いたと思われる「アトム」藤子氏の「アトム」石の森氏の「アトム」など、珍品です。
赤塚氏は、その後「天才バカボン」「もーれつア太郎」など立て続けにヒット作を連発する。
6ツ子の「おそ松くん」からは、主人公の「おそ松くん」以上に人気となった「イヤミ」や「ちび太」「ハタ坊」「デカパンおじさん」「ダヨ〜ンのおじさん」・・・。
そしてギャグといえばイヤミの『シェー!』
「天才バカボン」からニャロメの『ニャロメ!』や「ケムンパス」など
そしてバカボンのパパの『これでいいのだ!』
レレレのおじさんの『おでかけですか?レレレのレ!』
「ひみつのアッコちゃん」が、変身する時の言葉「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になれ〜」。
秀逸なのは、「天才バカボン」に登場する「目ん玉つながりおまわりさん」世界一ピストルの弾を撃ち「タイホする!!」を連呼する・・・。
警官をココまで茶化したギャグは、他の追随を許しません。
芸をする猫として有名となった赤塚氏の愛猫「菊千代」は、1997年に18歳で他界しました。
赤塚不二夫氏を悼む弔辞を読んだのは、赤塚氏に見出されて芸能界入りした「タモリ」氏です。
画像を見ると、タモリさんの手にある「弔辞」文。
タモリさんは手元を何度も見ていましたが、どうも「白紙」のようですね。
さすが、です。
おざなりで定型の「弔辞」文があふれる中、アドリブにもかかわらず簡潔で胸に迫る弔辞でした・・・。
全文を掲載しておきます。
◆タモリ弔辞全文◆
弔辞
8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
平成20年8月7日、森田一義
訃報 赤塚不二夫
タモリ弔辞(多少、重いです。ゴメンナサイ。)
「おそ松くん」オープニング。
赤塚不二夫氏が歌う「駅前ブルース」
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赤塚不二夫さん死去
Excerpt: 赤塚不二夫さんが、肺炎のため東京都内の病院で死去しま した。 赤塚不二夫さん(あかつか・ふじお、本名・藤雄=ふじお) と言えば、「おそ松くん」「天才バカボン」で知られる漫 画家です
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