王 貞治氏1940年5月20日、日本生まれの台湾国籍。
早稲田実業高等部2年生のときエース・ピッチャとして春のセンバツ甲子園大会に出場して見事に優勝。
(1957年=昭和32年・第29回大会)
関東で初のセンバツ優勝高校となる。
1959年(昭和34年)契約金1500万円、年俸140万円という高卒新人としては破格の条件で読売ジャイアンツに入団。
同年4月26日の対国鉄(現ヤクルト)スワローズ戦7回表。
プロ初安打を放つ。
何と王貞治氏らしく、ホームランであった。
同年6月25日の天覧試合(昭和天皇がご観戦される試合)。
7回裏・巨人は王貞治のホームランを放ち続いて長嶋茂雄氏もホームランを放つ。
最初の「ONアベックホームラン」となった。
尚、試合は9回裏、阪神のリリーフ故・村山実投手から、長島選手がレフト・ポール頭上にサヨナラ・ホームランを放つ。
しかし、いまだに、大ファールだという論議がある。
(故・村山氏も最後まで「あれは、ファールだ」と言っていました。)
ちなみに、「展覧試合」とは、本来、武術を天皇陛下がご観戦されることを指します。
プロ野球の「展覧試合」は、このときが始めてです。
1962年荒川博打撃コーチの指導の下で、一本足打法を習得する。
後にアメリカでは、フラミンゴ打法と呼ばれるようになる。
尚、荒川氏は、偶然、少年時代左投げ、右打ちの王選手に「君は左投げなのだから、左打ちにしなさい」とアドバイス。
それ以来、王選手は左打ちとなったということです。
1964年(昭和39年)日本新記録となる年間55本のホームランを放つ。
そして、当時のハンク・アーロン選手が持っていた大リーグ記録755号を追い抜く日が訪れました。
1977年9月3日、対ヤクルト戦で、大リーグ記録を抜く756号を鈴木康二朗から放ちました。
1980年シーズンを最後に引退。
通算ホームラン数868本は世界記録。
その後、1984〜88年巨人軍監督。
1995〜2008年ダイエー〜ソフトバンク・ホークス監督。
巨人時代に1度、ダイエー時代に3度のリーグ優勝。
ダイエー時代に2度の日本一に輝いている。
2006年7月18日胃がん摘出手術。
胃を前摘出する。
2007年監督復帰。
2008年10月7日、対楽天線が最終試合となった。
「50年、いい野球人生でした。50年間ひとつの道にこれだけどっぷりつかって、心をときめかせて68歳までやれたことは、とても幸せでした」と述べた。
王貞治氏の通算ホームラン記録は、世界記録なのか、日本記録なのかと論じられることがあります。
違う国の記録ですので、一概に比較するのには、無理があります。
大リーグと比較して日本の野球場はおおむね狭いというのも、事実です。
ただし、例外もあります。
シカゴ・カブスの「リグレー・フィールド」は、日本の一般的な球場より狭いですし、阪神甲子園球場は、かなり広い球場といえます。
どうでしょうか?
日本の通算ホームラン記録の2位は、現「楽天」野村克也監督の657本です。
1位と2位の差が何と200本以上!!
王貞治氏の通算ホームラン記録868本は、プロ野球史に燦然と輝く記録といえるでしょう。
大リーグの通算ホームラン記録は、バリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)選手の762本(2007年末)です。
<参照>
・バリー.ボンズ法廷で逆転ホームランなるか!?
2008年10月7日王貞治監督最終戦
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