1976年6月26日に行われた新日本プロレスが企画した「格闘技世界一決定戦」。
当時の世界ボクシング・ヘビー級の王者であり、カリスマ的な存在であったモハメド・アリ(米国)と、アントニオ猪木との一戦。
ギャラは、610万ドル(当時、1ドル=300円)。
モハメド・アリは改名した後の名前で、元々の名前は、カシアス・クレイ。
別名ホラ吹きクレイ。
まぁ、リップサービスが得意といったようなニュアンスですね。
「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか!!」と、いつものように、言ったリップサービスに
アントニオ猪木が飛びついた。
本気で勝負するつもりなど無かったアリ側であったが、猪木側の挑発に乗り、のこのこと、日本にやって来た。
エキジビション・マッチの娯楽試合だと思っていたアリは、猪木のスパーリングの気迫に驚く。
急遽、ルールの変更を申し込むアリ側。
その結果、「投げワザ、関節ワザ、アリの頭への攻撃、猪木が立ったままの蹴り攻撃」が、禁止された。
超々有名なボクシング界の世界チャンピオンと、無名のアジア人プロレスラーという立場では、条件を飲まざるを得ず。
結局、猪木は立って攻撃が出来ないことになってしまう・・・。
で、マットにねっ転がって、アリの足へのキック攻撃・・・それぐらいの攻撃しか、出来ないわけである。
試合は、結局、ドロー。
そして、ブーイングの嵐・・・。
しかし、アリは3ヶ月後のケン・ノートンとの世界戦は、中止。
5年後には、現役を引退。
猪木戦での悪影響が、ささやかれたりしました。
その後、猪木は、「元気ですかー!!」
「元気があれば、何でも出来る!!」
「1! 2! 3! ダーッ! 」とか言った名言を残しながら、一世を風靡した。
尚、「1! 2! 3! ダーッ! 」は、商標登録されているということですので、勝手に使用すると、アントニオ猪木さんから請求書が来ます。
猪木とアリは親友となり、アリは、アリのテーマ・ソングであった、「アリ・ボンバイエ」を猪木にプレゼント。
やがて、パーキンソン病(筋肉が萎縮する)に身体を蝕(むしば)まれたアリであったが、猪木の引退式には、日本に駆けつけた。
アントニオ猪木・闘魂注入!!
アントニオ猪木 『道』
アントニオ猪木VSモハメド・アリ
CMです・・・。
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