太宰治(だざい・おさむ)本名:津島修治(つしましゅうじ)
明治42年(1909年)6月19日、青森県北津軽郡金木村(現・青森県五所川原市)
津島源右衛門とたねとの間に生まれた。
11人兄弟の10番目。
実家は青森県下でも4番目の大地主だったそうです。
現在、太宰治の生家は、太宰の代表作のひとつである「斜陽(しゃよう)」の名をとって太宰治記念館「斜陽館」として国の重要文化財に指定されている。
太宰治は、昭和初期を代表する人気作家でした。
今年2009年は、その太宰の生誕100周年にあたるそうです。
「走れメロス」とか、「人間失格」とか、学校の教科書に載っているので、みなさん一度くらいは読んだことがあるでしょう。
口語体で平易な文体、リズミカルな文体なので読みやすいというので、長い間、日本人に親しまれた小説家です。
1930年東京帝国大学(現・東京大学)に入学するも授業料未納で除籍処分。
大学在学中から執筆活動にいそしむ。
1935年(昭和10年)に、作品「逆行」第一回の「芥川賞」にノミネートされたが受賞は出来ず。
太宰治というと、何度も自殺未遂を繰り返しす傍ら、膨大な量の作品を残した作家としても知られています。
人妻であった銀座のカフェ「ホリウッド」の女給であった田部あつみ(たなべ・あつみ)本名:田部シメ子(たなべ・しめこ)と1930年11月26日に知り合い
何と3日後の11月29日に・・・。
神奈川県鎌倉市七里ヶ浜(かまくら・し・しちりがはま)海岸の小動神社(こゆるぎじんじゃ)の裏の小動岬(こゆるぎみさき)より2人睡眠薬(カルモチン)を大量摂取後、投身、心中を計るが、田辺は死亡、太宰だけ助かる。
芸奴との同棲、左翼運動などにのめり込む、薬物中毒・・・。
しかし、1938年石原美智子(いしはら・みちこ)と結婚。
山梨県甲府(こうふ)市に在住。
長女をもうける。
しかし、1943年(昭和23年)6月13日、太宰の愛人の一人である山崎 富栄(やまざき・とみえ)と玉川上水(たまがわ・じょうすい)(東京都北多摩郡三鷹町)にて入水自殺。
享年39歳。
合掌。
人間の強さと弱さは、表裏一体なのだ。
正義と欺瞞(ぎまん)とは、誰にも正確には区別がつかないのだ。
「走れメロス」、「お伽草紙(おとぎぞうし)」、「人間失格」が、同じ作家が描いたものなのか・・・。
生々流転、波乱万丈・・・。
今年2009年6月19日、太宰治が生まれてから100年の月日が経ちました。
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