1755年11月2日生まれのさそり座。
ハプスブルグ家はプロセイン(当時のロシア)との関係を絶ち、フランスとの関係を強めようとしていた。
マリー・アントワネットの母マリア・テレジアは、フランスのルイ15世(後の、ルイ16世)との政略結婚にマリー・アントワネットを利用うした。
1770年5月16日、マリー・アントワネットが14歳のときフランスのルイ15世とベルサイユ宮殿で盛大な結婚式が行われた。
マリー・アントワネットの一般的なイメージと言えば、浪費家で享楽好きとされている。
また、賭博も好きなようで、徹夜でトランプをしていたりした。
マリー・アントワネットの生きた時代の18世紀は、宮廷ファッションも豪奢の一途を辿り、夜な夜な仮面舞踏会などが開かれていた。
貴族の着用する服は日本でも「十二一重」のように、良く言えば自己主張、悪く言えば見栄の張り合い、となる傾向がある。
マリー・アントワネットの時代に盛隆を極めたのは、ひときわ目を引くボリューム・アップされた髪型である。
何層にも積み重ねたブロンド・ヘアーに豪華な宝石を散りばめた髪型、相当に重たかっただろうに・・・。
もうひとつ、マリー・アントワネットの時代には香水が発展した。
何と、豪勢を極めたベルサイユ宮殿には「トイレ」が無かったのである。
中世のパリでは民家などにも無かったようである。
「壷」に用を足し、セーヌ川に捨てていたらしい・・・。
マリー・アントワネットの発言で有名なのは、民衆が食料不足でベルサイユ宮殿に押しかけて生活の困窮を訴えたときの発言である。
パンが無いと生活の苦しさを訴える民衆に対して「パンが無ければ、お菓子を食べればイイ。」と言った。
と、されているが、どうも作り話らしい。
それほど、王政や貴族階級に対する不満が国民に溜まっていた。
そして、1789年7月14日フランス革命が勃発。
1792年8月10日、ついにマリー・アントワネット、夫のルイ16世、その他国王一族が捕らえられタンプル塔に幽閉される。
やがて、民衆裁判の末「死刑」の判決が下る。
そして迎えた1793年10月16日,マリー・アントワネット、夫のルイ16世は民衆が見守る中「ギロチン台」の露と消えた・・・。
フランス最後の王妃マリー・アントワネットの哀しい最期であった。
日本では、フランス革命とその戦争を描いたとされる池田理代子さんの「ベルサイユのばら」が有名ですが、王政の側からのフランス革命を描いています。
しかし、実際は民衆との間とのかなり生々しい戦争だったようです。
でも、今の日本ではマリー・アントワネットといえば「姫カジ」の象徴のように捉えられています。
とっても、イイコトだと思います!

