そして1987年、日本から中島悟氏が初めてF1にフル参戦。
何とアイルトン・セナと「キャメル・ロータス・ホンダ」で一緒のチームになる。
この年より「フジテレビ」でF1が生放送されるようになる。
1987年フジテレビ最初のF1放送ブラジルGP・オープニング&エンディング。
黄色一色の「ロータス・ホンダ」を駆る中島悟氏とアイルトン・セナの姿が印象に残る方も多いのではないでしょうか?
チームはサスペンションの不調に苦しみセナもモナコとデトロイトの市街地コースでの2勝にとどまる。
F1 87モナコ〜セナ・オンボード・カメラ。
モナコ・決勝。
87・デトロイト(USA)
87・鈴鹿。
1987・F1
そして迎えた1988年、セナは「マクラーレン・ホンダ」に移籍。
日本でもお馴染みとなった赤・白ツートンカラーの「マクラーレン・ホンダ」。
アイルトン・セナの僚友となったのは、「アラン・プロスト」
F1界ではプロフェッサーと称されるフランス人である。
88イモラ(サンマリノ)
88カナダ
88デトロイト(USA)
88ハンガリー
88ベルギー
88イギリス
88ドイツ
「マクラーレン・ホンダ」はシーズン全16戦中15勝、10度の1−2フィニッシュという驚異的な記録を打ち立てた。
そのうちセナがPPを13度、そして8勝をあげ、7勝のプロストを上回り、念願のF1シーズン・チャンプに輝く。
セナが88年チャンプを決めたのは第15戦日本の鈴鹿GPであった。
88鈴鹿・オープニング
PPからスタートのセナであったが、いきなりエンジン・ストールで中段にまで後退。
その後、鬼神の如く追い上げ見事1位でフィニィシュ。
感動的なチャンピオン決定であった。
「マクラーレン・ホンダ」もコスラクターズ・チャンピオンとなり、ホンダに乗るアイルトン・セナは、一躍日本で有名になった瞬間であった。
アイルトン・セナとアラン・プロストという当時のF1界のスーパースターの確執が明確になってしまった1989年。
「マクラーレン・ホンダ」に乗る僚友はこの年も優勝争いを展開。
シーズン全16戦中13度のPPを獲得。
89サンマリノ
89モナコ
89スペイン
89ベルギー
89ドイツ
セナ6勝、プロスト4勝で迎えた
F1 89年第15戦鈴鹿GP。
鈴鹿・予選、セナ渾身のアタック!〜ポール・タイム・オンボード・カメラ
1989年鈴鹿GP・決勝。
両者は激しくトップ争いを繰り広げる、そして残り数周というところで運命の鈴鹿の最終シケイン。
両者は接触!(どう見ても、プロストがぶつけたようにしか見えないけれど)
プロストはリタイア、セナはその後1位でゴール。
しかし、セナは失格の裁定(当時のルールで、押しがけ禁止違反)
この時点でプロストの年間チャンピオンが決定。
そして、プロストは「マクラーレン・ホンダ」を去ることなる。
後味の悪い日本GPとなってしまった。
この後、FIA(国際自動車連盟)よりセナは危険なドライバーとみなされ、翌年のF1に乗るための「スーパーライセンス」の剥奪の危機に陥った。
「スーパーライセンス」発行は翌年になってからであった。
▼▼▼ 続きは、こちら!!▼▼▼
・アイルトン・セナ・音速の貴公子誕生、84年F1デビューから86年JPSロータス・ルノー時代まで(動画)@
・アイルトン・セナ1990年3度目のワールド・チャンピオン獲得。
そして「モナコ・マイスター」となる。
1994年5月1日サンマリノ・イモラ・サーキットの「タンブレロ・コーナー」に散る!!(動画)B
・アイルトン・セナと日本の親密な関係。そしてエピローグ。(動画)C
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